――5月18日(月)
――
彩里宅
――
チカ「宿題はやりましたか?」(デフォ)
シキネ「一応、全部やってきたけど、わからない部分もいっぱいあって……」
チカ「へえ、意外です。全部やってくるとは……」(へえ)
チカ「……って、やっぱりスカスカですね。だいたいがわからない部分ってことですか?」(伏目)
シキネ「まあ、そういうことですね」
チカ「つまり去年は化学をとっていなかったと」(伏目)
シキネ「まあ、そういうことですね……事実上は」
チカ「とりあえずテストまではテスト範囲の学習に必要な別の単元の知識を詰め込んでいきます」(伏目)
シキネ「さんきゅ」
チカ「テスト終了後にはそれ以外の単元と予習を並行させて行います」(デフォ)
シキネ「うん」
チカ「カリキュラムはこちらで組み立てておきました。ですが、もともとゼロ……どころかゼロ以下からのスタートですので全然余裕がありません」(伏目)
チカ「ということで」(デフォ)
シキネ「はい」
チカ「テストまでは毎日ここへ来てください」(デフォ)
――正直驚いた。
だってあのチカちゃんがだ、毎日って。俺のことをもう嫌っていないのか、それとも彩里さんに頼まれたという使命感からなのかは知らないが、とにかく俺の化学の成績を上げさせようとしているらしい。頼もしいじゃないか。
――といっても喜んでいられない事態が俺を待っていた。
チカ「はやく計算してください」(不満)
チカ「小学生並の理解力ですね」(伏目)
チカ「はあ、また同じ間違いです」(伏目)
――口数が増えたのはよい傾向だ。
――ただ……。
チカ「動物でもこれくらいわかります」(デフォ)
チカ「どうしてそんなに遅いんですか?」(呆れ)
――発言がすべてマイナス方向でした……。
そしてこんなことを言われ続けていると、さすがに俺もイライラしてくる。いくら自分が悪いのだとわかっていてもだ。
チカ「そんなので本当に大学にいくつもりなんですか?」(呆れ)
チカ「フッ……」(デフォ[柔])
――こいつ、いま、笑った……?
シキネ「だー、もう! うるさいんだよっ!!」
大きな声を出してしまった。
さっきまで頬を緩めていたチカちゃんは面食らって少しの間放心していたようだ。そしてすぐに不満の表情を露にする。
チカ「だって……本当のことじゃん……」(不満)
ぼそっと言う。
シキネ「あのさあっ……!!」
俺は感情に任せて詰め寄ろうとした。
だけどそのとき目に映ったものが俺に冷静さを取り戻させた。チカちゃんは下を向いて身体を震わせていた。
彩里さんの言葉が頭によぎる。
――それがあの子の誠心誠意だから。
いけない。
これはいけない。
シキネ「……ごめん」
シキネ「そうだよな、時間ないんだよな」
チカ「わかったら……さっさと……問題解いてください」(俯き)
そのまま、その日は無言で問題を解き続けた。
シキネ「それじゃあ、また明日」
シオ「バイバイ」(笑顔[閉眼])
シキネ「じゃあね」
チカ「……」(不満)
「じゃあね」はチカちゃんに向けて言った言葉だったのになあ。
――
自宅
――
落ち着いて今日のことを思い出す。俺が怒鳴る直前、チカちゃんは今までになく楽しそうな顔をしていた。うん、そうだな、楽しそうだった。俺はそれをただの嫌みだと捉えていた。
だけど……。
――それがあの子の誠心誠意だから。
あれが彼女なりのコミュニケーションの形だったとしたら……。もっと関わろうとした結果だったとしたら……。
シキネ「チカちゃん……ごめん」
チカちゃんは震えていた。もう、嫌になっただろう。
――明日はスウのところへ行こう。
――逃げるのか?
――逃げるのだろう。
――5月19日(火)
――
教室
――
シオ「うん、わかった。じゃあチカに伝えとくね」(笑顔[開眼])
シキネ「よろしく」
シオ「チカとは仲良くなった?」(笑顔[閉眼])
シキネ「まあ……どうなのかなあ」
シオ「そう。これからもよろしくね、バイバイ」(笑顔[閉眼])
シキネ「バイバイ……」
――はあ。
――何やってんだ、俺。
――
教室
――
スウ「ねえ、聞いている?」(デフォ)
シキネ「……」
スウ「ねえ!」(デフォ)
シキネ「うおっ……はい?!」
スウ「『数学教えてー』って言うから気合い入っているのかと思ったのに、全然上の空じゃん!」(呆れ)
シキネ「さーせん」
スウ「相変わらず勉強はできないし」(呆れ)
シキネ「うう……」
スウ「で、何があったの?」(苦笑)
シキネ「え、 なんで……?」
スウ「ずっと上の空だし、いつものシキネじゃないし」(苦笑)
シキネ「ばれてたのか」
スウ「あの、深くは詮索しないけどさ、シキネはヘタレなんだから急にカッコつけなくてもいいの」(デフォ)
スウ「もちろん、そのまんまでいいとは言わないけどさ、焦って走ったって転ぶだけだから」(デフォ[柔])
シキネ「スウ……」
申し訳ないな、今朝から俺は冴えない顔をして皆に心配をかけていたのだろうか……。
いけない、気を取り直そう!
シキネ「ははっ、スウ……勝手な憶測はやめておくれよ。宅配ピザのサイズをLかMか、どちらにしようかなって考えていただけさ!」
スウ「はー? 何それー?」(きょとん)
シキネ「冗談だよ……気が楽になった!」
スウ「調子乗んな」(苦笑)
――ドス
きっとスウは俺が勉強のことで悩んでいると思っているのだろう。それだけじゃなく、俺がどれ程勉強ができないのかも分かっていて、無理をしないように気を遣ってくれている。チカちゃんだって、さじ加減がうまくないだけでそんなことくらいきっとわかっているのだろう。怒鳴った自分が馬鹿みたいだった。
いつも助言をくれるスウには感謝したい。
ただ……。
チョップで目を潰すのはよくないと思います。
シキネ「見えない、何も見えないっ!」
スウ「ちょ、ゴメン! やりすぎた」(慌て)
明日からまた、チカちゃんのところへ行こう。そしてもう一度ちゃんと謝ろう。
――5月20日(水)
――
教室
――
シオ「おはよ、シキネくん!」(笑顔[閉眼])
シキネ「おはよう」
あれ……彩里さんが怖い笑顔のモードだ……。まさか、チカちゃんに怒鳴ったことがばれたのか……?
シオ「シキネくん、こないだチカとなんかあったでしょ?」(笑顔[閉眼])
シキネ「え……あの……え?」
……殺されるっ!!
シオ「チカがね……」(笑顔[閉眼])
……ひいぃいぃっ!!
シオ「……反省していたよ」(苦笑)
シキネ「え?」
シオ「『私が余計なこと言って怒らせた。勉強の方でも無理させた。もう来ないかもしれない。どうしよう』ってね」(苦笑)
シキネ「……」
シオ「シキネくんは怒っているの?」(デフォ)
シキネ「いや、全然! むしろ感情的になったことを反省しています」
シオ「やっぱりね。よかった」(苦笑)
シオ「チカにもそう言っておいたよ、今日からまた来てくれるでしょう?」(笑顔[開眼])
シキネ「うん、行くよ」
シオ「じゃなきゃテストに間に合わないもんねー」(笑顔[閉眼])
シキネ「そんなことまで言っていたの?」
シオ「んふふ、内緒」(笑顔[閉眼])
シキネ「内緒にできていないよ」
[放課後]
――
彩里宅
――
シキネ「こんにちわ」
――ガチャ
チカ「……(なんか訪問者を伺っている)……」(怪訝)
シキネ「あ……」
――バタン!
こっちを認識した途端にドアを閉められた。
シキネ「ドアを閉めないでおくれ」
チカ「お姉ちゃんは……お姉ちゃんはいないんですか?」(困惑)
シキネ「今日は委員会の仕事があって遅くなるって」
チカ「じゃあ駄目です。帰って下さい」(困惑)
シキネ「そんな……昨日も来なかったし、カリキュラムが追いつかないでしょう?」
チカ「あとで修正するんで大丈夫です」(困惑)
シキネ「そんな……入れてよ。外暑いし……」
チカ「ちょっと待っていて下さい」(困惑)
――ガチャ
しばらくするとチェーンのかかったドアの隙間からペットボトルのお茶が差し出された。
シキネ「……」
とりあえず飲んだ。
シキネ「チカちゃん、まだそこにいる?」
ドア越しに言う。
シキネ「いなくてもいい。この間は大声だしてごめん、俺が馬鹿だった。よく知らない歳上の男に勉強を教えるなんて大変なことだよね。でも俺は何を言われたってこれからもチカちゃんに勉強を教えてもらいたいんだ」
シキネ「……駄目かな?」
今の気持ちをありのままに伝えた。
返事がない……。
……。
…………。
………………。
マジで返事がない。
お茶を渡して部屋に戻ってしまったのか。そのお茶を飲みながらドアの前で待ち続けたが、もう18時を回ろうとしていた。
ついに彩里さんが帰ってきた。
シオ「あれ、シキネくん何しているの?」(きょとん)
状況を説明した。
シオ「ちょっとチカー? 開けなさい、シキネくんが来てくれたんだから」(もう)
シオ「ごめんね」(苦笑)
シオ「駄目だな、仕方ない」(ふん)
彩里さんはカバンからいくつかの道具を取り出すと
――ガチャガチャ
――ガチン
ドアを開けた。
シキネ「え……?」
シオ「うふふ、見なかったことにしてね?」(苦笑)
ドアチェーンとかどうやって外したんですかね……?
――
彩里宅玄関
――
シオ「ちょっとチカ、 あ……」(きょとん)
チカちゃんは玄関の隅っこで眠っていた。
シオ「あらあら、こんなところで」(もう)
手にはペンとノートを持っていた。ずっとここで待っていたのかな?
シオ「あは、これシキネくんの学習計画だよ」(苦笑)
中身が気になったが、彩里さんの意向で見せてもらえなかった。
シオ「チカ、起きて!」(苦笑)
チカ「……」(寝ぼけ)
チカ「……(なんか寝起きで驚いている)……」(動揺)
チカ「……おかえりなさい」(伏目)
すごい速度で体裁を立ち直した。
シオ「シキネくんどうする? もう18時だけど勉強していく?」(苦笑)
シキネ「俺は是非していきたいんだけど……いいかな、チカちゃん」
チカ「……」(伏目)
チカ「……ちょっと準備があるので先に部屋に行っていて下さい」(デフォ[横目])
チカちゃんは家の奥の方へ行った。
――
チカの部屋
――
言われた通りに先に部屋に来た。
――机の上にあるものが置いてあった。
チカ「読み終わったら読まなかったことにして私を呼んで下さい」
――手紙だった。
チカ「この前はすみません。言葉遣いには気をつけます。カリキュラムにも少し余裕をもたせることにしますが、後々しわ寄せがくることになるので覚悟はしておいて下さい。教えるのは下手ですが、これからもよろしくお願いします」
シキネ「……」
――俺はそっと手紙をカバンにしまって、チカちゃんを呼んだ。
チカちゃんはまた俺に
チカ「こんな簡単な問題も解けないんですか?」(呆れ)
とか言ってきたが、その都度俺は
シキネ「来年くらいにはきっと解けるようになってるよ」
みたいに冗談で返してやった。
――自然とこれが俺達のコミュニケーションになった。
――5月27日(水)
――
教室
――
そしてテスト当日。
俺は不安でいっぱいだった。結局テスト範囲の方にはあまり手をつけられなかったからだ。
シオ「シキネくん、シキネくん。ちょっとチカが言いたいことがあるって」(笑顔[開眼])
ケータイを渡された。
シキネ「もしもし?」
チカ「演習が間に合わなかったので、とりあえず絶対必要なことを伝えます。まずPV=nRTは絶対に覚えておいて下さい、数字が簡単であればどんなに馬鹿でもある程度はできると思います」
シキネ「おう」
チカ「暗記部分は必ず全部埋めて下さい、大事な得点原ですから、あとは……」
チカ「……ガッツです」
シキネ「おう、テスト頑張ろう」
チカ「……」
――ブツリ
シキネ「彩里さん、電話」
シオ「なんて?」(笑顔[閉眼])
シキネ「化学頑張るよ、俺」
シオ「ふふふ、そっか」(笑顔[閉眼])
そして、ついに化学のテストが始まった。
――あれ……解ける?
チカちゃんのおかげだろう。俺は化学というものを少し理解することができたのだ。まだほんの少しだけかもしれないけれど……。
――6月2日(火)
――
会議スペース
――
シキネ「チカちゃん、テストが返って来たよ!」
俺は自信満々に答案を渡した。
チカ「71点……」(へえ)
シキネ「ありがとう、こんな高得点、チカちゃんのおかげだよ!」
71点。こんな高得点しばらくご無沙汰していた。それもこれもチカ先生の学習計画のおかげだろう。こうして化学克服の第一歩を順調に踏み出したのだった。
チカ「ま、最初ですし、こんなもんですかね」(伏目)
……あれ、不満?
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