――5月11日(月)
――
彩里宅
――
シオ「ただいま」(笑顔[閉眼])
チカ「おかえり」(デフォ[柔])
チカ「今日ちょっと遅かったね」(デフォ[柔])
シオ「あのね、チカ……?」(苦笑)
チカ「何?」(きょとん)
チカ「あ……」(不満)
シキネ「お……お邪魔しまうま……」
――今日の放課後のこと。
――
教室
――
三年になって最初の定期テストがもうすぐ始まる。
初日は化学と数学Ⅲだ。数Ⅲはスウさんにどうにかしてもらうとして……。
シオ「シキネくんいい加減にしなよ」(笑顔[閉眼])
シキネ「すいません、いい加減にします」
とにかく化学が悩みの種である。化学は前回のテストで17点を記録した苦手科目だ。
話がミクロだったりマクロだったりしてついていけないのだ。
例のごとく、彩里さんがそんな俺を気にかけてくれた。
シオ「今日のこのあと私の家に来る? チカに教えてもらいなよ」(笑顔[開眼])
シキネ「でも、それはチカちゃんに悪いんじゃ……」
チカちゃんのテスト勉強の邪魔になってしまうかもしれない。
シオ「ああ、チカはね、たぶんテスト勉強なんかしたことないから大丈夫!」(笑顔[閉眼])
シキネ「は?」
彩里さんは俺の手に折り紙を乗っけて言った。
シオ「あの子、とても頭がいいから」(笑顔[閉眼])
シキネ「頭がいいからって……そしてこれは何?」
シオ「ラフレシア」(笑顔[閉眼])
――
チカの部屋
――
そういうことがあって、今、チカちゃんの部屋にいるわけです。
しかしまあ、彩里姉の方とは違ってなんという殺風景な部屋なんだろうか。机、椅子、ベッド、クローゼット、本棚、以上、みたいな部屋だ。おおよそ、女の子の部屋には見えない。というか、普通の高校生ならもっと物が置いてありそうなものだが……。
そんなことを思っているとチカちゃんがお茶を持って来てくれた。
シキネ「ただでさえ教えてもらおうってのにお茶まで悪いね」
チカ「いえ……」(デフォ)
シキネ「片付けは手伝わせてよ」
チカ「いえ……大丈夫ですから」(デフォ)
シキネ「はは、そっか……」
――会話のキャッチボール終了のお知らせ――
実は今日は彩里さんから任務を託されている。その任務というのはこの無愛想な妹さんとたくさん会話してほしいのだとかなんとかそういう感じである。
はい、無理ですね。
玄関で俺の姿を見つけたときにこの子はとても嫌そうな顔をした。ゴキブリかゲジゲジでも見つけたような顔をしていた。俺を見つける前までの、彩里さんと話していたときはとても明るい顔をしていたのに。
チカちゃんが人見知りなのは本当らしい。それに加えて俺の場合はチカン事件のこともあるからより一層距離を置かれているのだろう。あとこの間のジョーシンのことももしかしたらバレている。アンニュイだ。この部屋はアンニュイだ。
早い話が、すげえ居づらくて化学どころじゃねえ予感がプンプン匂う。
チカ「……」(つまらなそう)
とにかく、チカちゃんの方からスタートが切られることはまず無さそうなので、さっさと勉強を始めるとしよう。
シキネ「テスト範囲はここからここまでなんだけど、大丈夫だよね?」
チカ「……(なんかコクリとうなずいている)……」(デフォ)
シキネ「じゃあ、よろしく」
――それから何分、
――いや、何時間経ったのだろうか……。
チカ「勉強しないんですか?」(不満)
シキネ「いや、ちょっと一問目がいきなりわからなくて」
チカ「え、これ範囲の一番最初の基本問題ですよね?」(不満)
シキネ「ですね……」
チカ「何がわからないんですか?」(デフォ)
シキネ「ハロゲンって何?」
チカ「二年のとき化学とってなかったんですか?」(デフォ)
シキネ「とっていました……」
チカ「とっていなかったのになんで三年でとったんですか?」(デフォ)
シキネ「あの、だから……二年のとき、とっていました……」
チカ「……」(デフォ)
シキネ「……」
チカ「じゃあ遷移元素ってわかりますか?」(デフォ)
シキネ「わかりません……」
チカ「アルカリ金属は?」(デフォ)
シキネ「アルミ……って違ったっけ?」
チカ「希ガスは……?」(不満)
シキネ「え、それってネットの言葉だった希ガス……」
チカ「……」(伏目)
シキネ「……」
――沈黙――
チカ「ちょっと、失礼します」(伏目)
チカちゃんは部屋を出て行ってしまった。
――ああ、俺よ。
――どうしてこんなにアホなのか。
年下の女の子に呆れられてしまった……。
そっと傷心していると部屋の向こうから声が聞こえてきた。
チカ「ねえ、お姉ちゃん! 何あいつ? 話にならない」
シオ「どうしたの? まだ十分くらいしか経っていないじゃない」
チカ「あいつ基礎、いや基礎以下すらまともにできてない」
シオ「そこを教えてあげてよ、ね?」
チカ「どうしようもない」
シオ「そんなに?」
チカ「食べることに興味を無くした家畜くらいどうしようもない」
シオ「まあ……たしかに物理の方もダメダメだったんだよね……」
チカ「ねえ、見切ろうよ」
シオ「うーん。まだほら、一学期の中間試験だしね。私もね、夏休みが明けてもダメダメのままだったらなんとなく流してこの集まりを解散させる予定なんだよね」
チカ「でも見切りは早めの方が……」
シオ「まだちゃんと教えていないんでしょう? 物理の方では丁寧に教えたら基礎はちょっと身についたみたいだし、教えてみたら少し変わるかもよ?」
チカ「でも……」
シオ「最初からじっくり教えてあげればいいじゃない。ほら、チカ先生!」
チカ「わかった……」
――ねえねえ、全部聞こえているよ、彩里姉妹よ。
悲壮感と焦燥感でいっぱいだったが、そんな気持ちに浸っている暇も無さそうだ。まずい、まずい。このままだと見切られてしまう!
ええと、ハロゲンは……。
チカちゃんが戻ってきた。
チカ「あの」(デフォ)
シキネ「ええと、ハロゲンは17族の五つの元素だよね? そんで、遷移元素は3~11族の金属で、アルカリ金属は……」
チカ「あの、まだテストまで時間もあることですし、はじめから復習していきましょう」(伏目)
シキネ「はい」
チカ「とはいえ、余裕があるわけではないので、さっさと準備してください」(伏目)
シキネ「はい」
チカ「ここに参考書と私のノートがあるので、一番はじめからこれらを見ながらやってみてください」(デフォ)
シキネ「はい」
チカ「私はここで見ているのでどうしてもわからないところがあれば聞いてください」(デフォ)
シキネ「はい」
チカ「わかったらさっさと始めてください」(伏目)
シキネ「はい……」
――カリカリ
チカちゃん、ゴメンね。ふできな俺だけど頑張るよ。だけど、序盤なんだけど、わからないんだ。人に聞く前にまず自分でググる、これが大人の賢い生き方。でも調べてもわからないときもあるんだよ。
シキネ「チカちゃん、あの、重結合のところなんだけど」
チカ「わからないんですか?」(伏目)
シキネ「あの、例えば酸素だけど、結合の手がそれぞれ二本ずつあるじゃん? 全部で2×2=4本あるわけでしょ? 二本で一つの結合になるのはわかるんだけど、なんでそうなるの?」
チカ「結合の手ってあれですか、中学生が使う言葉ですよね? ようは共有結合がわからないんですか?」(デフォ)
シキネ「いや、それはわかるんだよ。殻の電子の数をそろえて安定しようとしているんだよね? でも、それなら酸素だったら二つ電子がほしいわけだからもうひとつの酸素の電子が二つ失われて……」
チカ「……わかってないじゃん、共有するんだから失われないから」(不満)
シキネ「ええ、だからさ、共有するんだよね? そしたら手が四つあるんだから結合も四箇所できるんじゃ……?」
チカ「だから……!」(不満)
そう言うとチカちゃんは俺の両手をとった。
[手を取るチカちゃん]
チカ「これが二重結合、二つの手で一つの電子を一緒に持つの」
シキネ「え……あ、うん」
その華奢な両手は乱暴に俺の手を鷲掴みにしている。いきなりチカちゃんに両手を握られたので、だいぶ動揺した。
――
チカの部屋
――
チカ「……」(俯き+紅潮)
そしてチカちゃんもまた、自分のしていることに気づいたのか、手を払うと顔を赤くしてそっぽ向いてうつむいてしまった。
チカ「わかったら……さっさと問題解いて……ください」(俯き+紅潮)
意外と大胆なことする子だ。まあ、とりあえず今は勉強に意識を戻さなければ。
――あれ?
シキネ「すごい……そういうことか! だから二重結合なのか、わかったよ、チカちゃん、ありがとう」
チカ「……」(動揺+紅潮)
チカちゃんは少し驚いたような顔をしたがすぐにまた俯いた。
――5月12日(火)
――
帰り道
――
シオ「それね、たぶん嬉しかったんだと思う。シキネくんにありがとうって言われて」(笑顔[閉眼])
シキネ「そうなの?」
シオ「あの子のことだから人に感謝されることなんてめったにないと思うし、されてもこういう感じじゃ無いだろうし」(苦笑)
シキネ「こういう感じって?」
シオ「なんていうか、その、近しい感じでね」(笑顔[開眼])
シキネ「近しいって、そうなのかな」
シオ「どうせ昨日なんかあったんでしょ?」
シキネ「まあね」
シオ「なんかありましたって顔してるもん」(笑顔[閉眼])
シキネ「やっぱ鋭いな、彩里さんは」
シオ「あの子、頭はいいんだけどね、まだ人との距離感がつかめてないみたいなんだよね。突然変なことしたり言ったりするかもしれないけど、きっとそれが誠心誠意だから……」(苦笑)
シオ「そうだ、これあげる」(笑顔[閉眼])
シキネ「これは何?」
シオ「ミトコンドリア」(笑顔[閉眼])
――つづく
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